おそらくSNSに向いてないし、商業的な物書きにも向いてない。
明らかに言ってはいけないことを言ってしまうし、全てのことが悲しい。
それは幼稚さであると分かっているのに、私はいまだに殺人事件にもセックスにも、死にも、慣れない。嘘、死にはちょっと慣れた。みんな死ぬしね。
子供の頃、初めてサスペンス劇場で人間(犯人)が二人組で、布に包んだ遺体を持ち運んで吊り橋から落とすシーンを見た。その時、「殺意」というものがこの世に明確に存在していることを認識して、恐ろしくなった。29歳になったが、そのシーンをいまだに鮮明に思い出すことができる。『東京フレンドパーク』の後だった気がする。サスペンス劇場というのは大抵、殺人シーンが冒頭に持ってこられるので、以降気をつけるようになった。やっぱり、私って、異様なんだろうか。
どうやら世界に「殺人」という概念が、フィクション以外にも存在しているらしいと気がついた私は、「いつかこんな世界に慣れるんだろうか」と思った。『あたしンち』の後の昼帯のニュースの時間が鬼門なのである。当たり前のように流れるニュースを見ながら、「大人というのは殺人事件のニュースにいちいちびっくりしなくてすごいな」と思った。私も大人になったら殺人事件のニュースにおどろかなくなるだろうかと思ったが、おどろかないことにしているだけである。
セックスもすごい。おどろく。女の方が必ず客体になってて、裸のビデオがいっぱい売っててすごい、私ってこの扱いされるんだ、と初めて思った時のこととか全然覚えてて、「よぉ〜し、慣れるぞ〜」と思っているだけで、殺人同様、全然おどろいている。書いててびっくりしたが、全然、おどろいている。わかってないといえばわかってないし、わかっているといえばわかっている。全然全部に傷ついてるけど、男の子と友達でいたいから無理をしているだけである。ひりつくほどに苦しい。意識をし始めれば発狂するから、意識しないだけ。飛田新地ってキャンディー出るんでしょ?ペコちゃんのやつ、あは?♡
アセクシャルとかではないと思うし、性欲もある気がするけど、あまりにも私の側の身体が好きなように世の中で扱われているので、いつからか、悲しさとか幸福とか、興奮とか、刷り込みとか、自分が一体何の感情を持っているのかが分からなくなってしまった。ある程度の人たちにとっては、承認欲求とも結びついているだろうし、私たちって結局何が欲しいんですか?と思う。
どうやら、私ではない側の身体の感覚の方が優勢の世界線を私たちは生きていて、その人たちから需要があるものは全て市場の交換の原理に基づいて正解のようだった。彼らの需要は抑えられないもので、欲望が葛藤もそれほどなく許可されているため、インターネットの広告や雑誌の表紙や、オタクタウンの広告たちは、絵の女も生身の女も剥かれていた。私は、本当はよくわかってないのである。異様なのかな。
なんか、可愛くて存在そのものがいい感じの女の子とかいいんじゃないかな。女児とか少女への執着はここから来ていて、私はわざと幼いフリをしたり、ナルミヤの子供服のコートを去年の冬は来ていた。女の中で最も人権が高いのは「お育ちのいい感じの女児」だという感じがしているから。
あと「需要があればOK!」という世界なので、おっぱいを出してピアノをしたり料理をしたりすると動画の再生数が伸びる世界を私たちは現状生きている。現状そういう世界を生きているなぁと思う。いや全然「映像の世紀」とか「美の巨人たち」とか見たほうがいいんだけどもさ。
AVの方が、私のエロの目覚めよりも先にあって。私が後からAV的なものに合わせることを求められている。なぜか私が、AVのような存在だと思われているのだろうなということがティーンの頃から増えていく。「ようわからんな」と思い、スクールバッグに大きなシェリーメイ(ダッフィーの親戚のメス)をつけていた。そんなことはないな。本当は悲しくて、何かに抗うような気持ちで、イタイガーリーさをやっていた気がする。世界は私の味方をしない。
大人になれとか、大人の女はこういうものだという要請は、外部から来ているものな気がしていて、私は私の身体が成長し、わかることが増えて、いろんな体験をして変容していくことはあれど、私は私の安全を失った覚えがないし、私が他者のまなざしによって、変えられたこともない。
私は、初めてした予備校のバイトの新歓で、2男の先輩の目がギンギンになっているのを見て、怖いなぁ、とか思ったし、エロが嫌というよりも、1女が入学してくれば自分と付き合えるとか、そういう風に自動で思っている感じが気持ちが悪かった。そのうちなんか他のメンバーは、神社とかで飲んだりして人々は付き合ったり、急性アル中になっていったが、神社で飲みたくなかったし、急性アル中にはなりたくなかったので、半年でバイトを辞めた。1年持たなかった。自分も急性アル中でぶっ倒れたり、誰かとくっつけられる前に早く逃げたかった。
彼らは私より大人びていて、それは自立しているということでもあり、この文脈での自立というのは、個が希薄ということでもあった。みんな1女のパーツとか3男のパーツをやっていて、よく飲み、よく騒いでいた。飲み過ぎた人を家に送って行こうとかなった時も嫌で、仲良くないので勝手にして欲しかった。大学生になってみて、まっすぐ予備校とかでバイトしてみたけど、全然ダメかもしれないと思った。選択間違いなのである。あまり上品カルチャーではないのである。
本屋とか、デパートとかで働くべきなのだ。あと美術館とか。カルチャーインテリアショップとか。あと手芸好きだから、手芸屋さんとかね。間違ったのである。青山ブックセンターとか、銀座ウエストとか、伊東屋とかにすれば良かったのである。
もう、間違いたくない。
なんか、ものすごくよくわからないことで世界が回っている気がしており、世界は謎に満ちている。すべてのことは怖すぎて手に負えない。全然殺人のニュースにも慣れないし、なんでセックスのリスクが、法の上で完全に男女平等で運用されていないかもよくわかっていない。女の人の方が赤子を抱えたりして、その赤子が亡くなったりして、この2020年代に女の子だけが逮捕されたりする。あと中絶の話はしんどい。
自分もスナックとかやってるくせに申し訳ないけど、キャバとかで女の人が接待してるの見るの本当はしんどいし、これは嫌だなぁとは全然思ってる。流れてくる「ラストコール」は、やっぱり下品だと思う。これなら「辛口ピーコのファッションチェック」が見たい。
球場の女の子とかにも思うことがあって、「これって嫉妬か?」とも思ったけど、野球場の女の子がビール売るときのお客さんへの声のかけ方ってやっぱりなんか馬鹿にしている感じがするんだよなぁ。相手を転がせるって思っている時の水っぽい会話って、まともな人には嫌われたりするって思う。
以前、そういうお水の話し方を普通の飲み屋でプライベートで来店した時にやってる女の子がいて、それを見たマスターが「あんなことして、常連さんたち怒るんじゃないかとヒヤヒヤした」と言ってたのを思い出した。やっぱり、まともな人なら怒るよね、と思って、私もそういうのをやらないように気をつけようと思った。
でも時々、女の子の挙動しかコマンドとして持ってない女の子っているじゃないですか。すごく可愛いけど、惨めで哀れでもあるやつ。あれも、「嫉妬か?」と思ったけど、見る人が見れば「自我がない」って言ってて、すぐばれたりするからやめたほうがいい。
やっぱり、舐めてたり、化かし合いみたいなカルチャーは早く終わったほうがいいと思う。殺人も死も、セックスも生きていること全て、一大事なのだからもっと真剣になった方がいいと思う。セックスがなんで販売可能なのかも、「なんかそういうことになっているだけ」で、全然「売っていい前向きな理由」ないと思う。男性中心社会だからだろ、と思っているし、私が幼少期から世界のすべてに怯えながら手放していない、少女的なロマンが勝つことがあれば是非採用してほしいと思っている。変だからなあ。
「女の子の尊厳が第一」というのが最近のキーワードで、「女の子の尊厳が第一」だからという理由で、売春や風俗や性サービスは無くなった方が良くて、「女の子の尊厳が第一」だからという理由でそれらをしたい人ができる世界が、最も良くて、今のところ、男の欲求が第一という世界を生きていて私たちはその犠牲になっている。
はなから関係なければいいのに、と思う。私は殺人がある世界にも全然馴染めておらず。むずかしい…と思いながら生きている。でも、慣れてないと、変だと思われるから誤魔化している。
本当にPG12みたいな世界観で生きているんだよなぁと思う。うっすらその外側があることは感じているけど、無視をしている。理解不能だから。や、おしゃれ洋物ポルノとかの上映会とかは行ったりするけど、でも、露出狂に遭ったりする日常を生きてもいて、あ〜あ全く、女の子って難しい⭐︎と思って生きている。
なんで私たちは子供の時に持っていた安心感を剥奪されながら生きていくんだろう。なんで、大人は私たちを不安にさせることをするんだろうと思う。
”大人は”ってお前もう30近いじゃんというのはわかるんだけど、20代を過ごしてきた女の子たちって、大人の男の人たちから、「欲しい!」って思われることばっかりで、彼らが、私たちのために大人として何かしてくれたことってめっちゃ少なくない?彼らがお客さんすぎない?
信じなきゃよかったと思ったことばっかりだよ。
私は『わかったさん』と『こまったさん』に出てくること以外のことがあんまりわかってなくて、野蛮な成人男性の暴力性によって、私がポプラ社から追い出されたと思っているから。
教室も居心地が悪く、倫理は息をしていないし、私たちはうっすら舐められていて具合が悪い。今かなり鳥取砂丘に埋まっているこんのぬいぐるみに近い気持ち(『こんとあき』)。というかその前に弁当を買いに行って、新幹線に乗り遅れて尻尾を挟まれたんだった!こんな人生!
とぼけている。いつもこうやって私はとぼけている。自分が『キテレツ大百科』のコロ助だとか言って「わかんないナリ」「こわいナリ」とか逃げている。自分が持っている女としての暴力性にも気がついているし、「わかんないナリ」と言いながらいつも外界を哀れんでおり、自分は去勢されたロボットのフリをしている。ずるいと思う。武士ナリよ〜〜!
被害者の立場とか、弱そうな立場をとって、人を糾弾するのが得意だ。自分のそういうところが嫌になる。結局明確な意思を持って拒絶と軽蔑を示しているのに、魔法少女だのプリキュアだのを持ち出して、スルリと逃げている。全部のことに怒り、蔑み、哀れんでいるのに。どこか遠くの国で、傷ついたことがあるような気がする。
私はずるい。ずる賢くて、あざとい。そう思う。敵意が自分に向かないように弱そうなフリをすることがある。何もかもわかっているのに。そして、すべての人がそうなように何もわかっていない。
私はそれでも生きなくてはいけないし、ちょっと違うなと思うものはもう見られない。
ふざけるなよ、と思っている。下品なコミュニケーションが嫌いだし、明確にそれを意識してなかっただけで、そういうものはあって、距離を置くしかないんだなと思った。それなら映画とか本とか見てたほうがましである。
あ!だからそういうのばかり人は見るのか。現実が汚いなんて思ったことはない。汚い人たちがいるなと思っている。被害者ぶって泣かないなら。軽蔑になってしまう。
私はマッチングアプリですら、女性の登録によって成り立っている業だから、女衒だと思っているし、クリアな自分の感覚に照らし合わせると、本当はこの世の女性が客体視されるカルチャー全てに疑問を持っている。とぼけているだけである。やばいのである。重度のガンギマリなのである。
こんな感じだと生きていけないから、いつも笑ってごまかしているだけで、何もかもはわからない。シンプルなことだけはわかる。シンプルになりたい。
いつも、ごめん。