女の中の女、という言葉がないのは、女に個が認められてないからではないかと思う。
母親の部屋、というものは家庭の中で存在しないし、私たちは個別の存在として認められていないように思う。
私は女の子らしく全ての人と仲良くしないといけないと思ってたし、全ての人に笑顔で接さないといけないと思っていた。ドン引きするような扱いを男にされている子がいても、私がそれを断ち切ると、男にそういう扱いをされているが故のスティグマをそういう女の子たちに与えてミソジニーっぽくなるから(尻軽等)、気をつけていただけで、でも本当は、吐き気がする。私はめっちゃ個なのだ。なんか、全部を含むか、全部を含まないかの分岐しかないのだ。
私は、私はきちんとしたものが好きなのに、いろんなことがだらしなくなってしまう。
自分が何を思っているか分からないからだと思う。本来プライベートであれば自分の境界や信条が揺らいでしまうような行為はカウンセリングとか、占いとか、カウンターを挟んでとか、ファン対応とか、ホステスとかがやるべきものなのだ。私は人と仲良くすることを魂の仕事として、魔法少女の信条としてやってたけど、気が触れてしまう。
本当の私はそうじゃないから。怖いし、引いてるから。ていうかこれ、報酬もらってやるものだよね?と思う。ケアとか感情的な寄り添いが価値あるものならそうなるべきなのだ。
もう最近オンラインでチャットで悩み相談する仕事の求人とか探し始めたけど、そういうのが向いてると思う。「うんうん、セフレがいるんだ。そうなんだね、好きなんだね。うんうん。はいはい。自信がない。あ〜愛されなかった。わかるなぁはい。はいはいはい」
地元の友達の恋愛相談がバカすぎて受け止めきれないし。お金もらってやりたい。交友関係って何?もう本当にしんどい。馬鹿アホ!
「○○って言って欲しかった。」って知るかぼけと思う。なんで小学校から一緒だったのにそんなこと思っちゃうんだろう。どうしてなんだろう。私ホステスじゃないんよ。女の中の女ってなんなんだろう。男の中の男は存在するのに、女の中の女はなんでないんだろう。女の中の女になりたい。
私は子供の時から周りにいた人たちが、女の扱い変だったから騙されちゃってたけど、もう、あんまり触れ合いたくない。私の人生に触らせたくない。私の人生に触らせたくないのだ。父親が「友人が昔リゾバで新婚カップルの嫁寝とった数を競ってた」みたいな話してくる時点でもう、自分の外側に存在する概念になってしまった。元から外側にはいるんだけど、倫理を合わせにきてはくれないから、触れ合わないで欲しい。
なんか20代を、結構女にだらしない人たちのそばで生きてきてしまったのだが、私が女であるという意識がめっちゃ希薄だった、いや、希薄というか保留にしてたんだよね。少女だから。でも、大人としてちゃんと選ぶなら、交際の仕方変な人で稼いでる感出してる人より、人間としてちゃんとしてて地味で堅実な人の方が話が合う。これは本当にそう。資本主義が悪いのか知らないが、女の扱いゴミなやつほど稼ぎすぎ。
寂しそうだし。あと満ち足りてないから、世に出てくる。身近な関係性で満足できないから出てくるんだよな。よくわかんないわぁ。やっぱり、最近は人とそんなに話さないほうがいい気がしていて、自分が流れ出していくことがすごく嫌になってしまった。変な恋愛している人間と無償で言葉を交わすと自分の人生が穢れるような感じがするから、本とかコンテンツで塞いだほうがいいし、いや、有償とか無償とか関係なく、人生の内部に入れない方がいいんじゃないかという気がしてきた。
私は私の人生を防衛柵で囲うことができると気がついて、他者に使う時間というよりも、私が私の好きなものを見て、それを虚空に放って、なんかそれらの排出されたものを勝手に見ていただくという方が大事な気がしてきた。私はもう、ラノベのヒーローのような自閉ぶりを発揮している。本当は全部が無理だったから。何もかもが無理だった。結局私は私以外の全てが嫌いなのかもしれないなと思う。
私以外の全てが嫌いです。私以外の全てが嫌いなのです。嫌いすぎて、死ぬまで夢を見ていようかなって思う。子供の時の方が楽しかった。インターネットももう少し車間距離が空いている時の方が楽しかった。だから個人サイトか。そう。個人サイトを書いています。
ARuFaのブログはすごい。ずっとARuFaだけだから。
人生って個人サイトなんだろうか。女の中の女って、昔の少女漫画家だと思う。萩尾望都とか、大島弓子とか。既存の男性社会とは別箱を作ることが大切な気がする。高橋留美子か。あとね、もちろん。もう、やっぱ漫画とかだって。あと服ね、森英恵とか川久保玲とかね。もうね。蛮族は変わらないからね。完成された異空間を、世間に混ぜ込んで私たちは守られるしかないの。あれなんであんなに変だったんだ?って思う時、それはだいたいあってるの。私の方が、理にはかなってたりするの。でもひっくり返らないの。世界は気持ちが悪いから。
気持ちの良い世界に籠城していたい。人を傷つけたくないから近寄らせたくない。いじめてしまうから。泣いてしまうから、離れていて欲しい。自分の小さな箱庭の中でないと生きていけない。幼い頃幼稚園に入る前、弟も生まれる前に自分の家でママと一緒にいた頃が楽しかったな。今日ふと思って、私は、私が生まれてきて良かったと思わないと、私が幸せな一生を送らないと、母が生きた意味がなくなるんじゃないかと思って、帰り道それに気がついて泣いた。今も泣いている。心の中のママに、話しかけると、そんなことはしなくていいとか、そんな場所には行かなくていいとか、その人は変だとか、答えてくれる。私に加護を与えてくれる。
周りの人に優しくできなくても、「椿ちゃんそれは危ない」と言ってくれる気がする。椿ちゃんにしあわせでいて欲しいと言っている気がする。私友達のパパ活についてったの、屈辱的で、やだった。友達もそれ謝ってくれるけど、やだった。ごめん。私やっぱりちゃんとしたものじゃないと好きじゃないかも。むずかしい。
ママと一緒に家にいたい。そういえばママが病気になった時も、気が狂っているのに、実家のアイビーのツタが、2階の私の部屋まで伸びてるんだけど、それが燃えるって妄想に取り憑かれて、それを剥がそうとして、塀に登って打撲をしていた。そのような異常な気のかけられ方をするのも良くないのだが、そこまでして大切にしたかった私が、楽しくない人生を送ったというのは、よくないのだと思う。私は、私の一緒にいたいお友達と一緒にいていいし、私が嫌なら嫌でいいし。危ないと思ったら危ないでいいんだと思う。みんなのためには生きられないし、了見が狭いのでみんなもそれが嫌だと思う。
桑沢デザインの服飾コースに行きたい。あとアテネフランセに行きたい。それから、セツモードセミナーの卒業生がやってるイラスト教室に行きたい。あとパリに行きたい!オートクチュールのクチュリエを見てみたい。見られるのかな。博物館とかあるのかな。私は私の人生があるな。あとどこかで博士課程とか行ったりするのかな。わかんないけど。これができたら私の人生満足かも。稼がなきゃな。お金にちゃんと全てが交換されるなら、仕事になるけど、自分のアイデンティティと結びつけすぎて無償の救済をやっていると自己が崩壊する。女の中の女になりたい。
YUKIのライブ映像見てたら元気になった。彼女は女の子をひとりでやっててすごい。ケアとか依存とか、お色気お水とかもういいのかも。一生懸命ちゃんとやること、とっても可愛らしい。セクシーさもかわいさも彼女のもので突き抜けててすごい。よくわからん友達より、YUKIの方がかっこいい。
受験生の時からそうだったけど、大学生の時に衣装縫ってた時もそうだったけど、YUKI聴いて一人でいる時の方が楽しい。私きれいな中に、いたい。一歩も出たくない。出るなら出た分仕事にしないと困る。学校とかが多分特殊環境なんだよな。このような事象に触れ合いたくなかった。みたいなことがある。
私は今それらと切り離されてる。心の底から快適である。
心の底から快適なのである。ここからは潜ること以外考えたくない。
死ぬまで潜り続けたい。女の中の女ってどうなればいいんだろうって思ったけど、個人性としての女かもな。なんだかしんどいな。
『ご近所物語』の実果子みたいになりたい。女の子が女の子でいるために。きもいものを切らなきゃいけない。パパ活はこの世界観には存在しない。メラメラギャルはメラメラ頑張るのみなのだ。お友達と仲良くと思ってきたけど、穢れている!という感覚が強すぎて壊れてしまうのだ。私は私の道をいくしかなくて、壊れたブログしか更新できない。受験生の時はゴールが明確だったし、「ここに行きたいんで」、と言っておけば、他人に「穢れてる!」とか言わずにすんでた。でもクラスで一言も口が聞けなくなっていた。
教室ずっと気持ち悪かったから。本当は内向の一ギアしかない。子供の時からずっとそう。本当に全てのものが嫌。綺麗なものだけが好き。嘘ついてると部屋が散らかって掃除も洗濯もできなくなる。私は規範や慣習に基いてじゃなくて本心で行動しているから、本心の精度が狂うと部屋が狂う。茶室じゃないと生きていけない。
どうしてももう外には出られないかも。出られない前提で潜るしかない。あー。全部が怖い。女の中の女になりたい。愛。